- 開催日時
令和2年3月8日(月)
10時~ - 場所
あわぎんホール4階大会議室 - 講師
徳島市立徳島城博物館
館長: 根津寿夫 先生
講師プロフィール紹介
- 1964年
東京都田無市(現:西東京市)生まれ - 1990年
明治大学大学院文学研究科(日本史学)博士
徳島市教育委員会に採用(学芸員・歴史担当) - 1992年
徳島市立徳島城博物館開館(学芸員) - 2017年
同館館長就任 現在に至る
専門は日本近世史です。
徳島市佐古六番町に現在お住まいです。
講話内容
「庚午事変の虚と実-150年目の真実-」と題して御講話いただきました。
庚午事変とは明治3年(1870)5月13日に、旧徳島藩士たちが分藩独立を求める稲田家臣を襲撃した事件をいいます。同年が庚午にあたることから音読して庚午事変、あるいは稲田騒動と呼ばれています。
原因は幕末維新期、家老稲田家とその家来は、徳島藩とは別に、朝廷のために尽力しました。ところが明治2年の新政府の改革により、稲田家臣たちは陪臣として卒(足軽)身分とされ、著しい不利益を生じることになりました。
そこで彼らは稲田家を分藩独立させ、自分たちの身分を士族としようとしました。これを聞いた徳島藩の旧藩士たちは、主君である藩知事蜂須賀茂韶の名誉を損ねる不忠の行為として稲田家家臣の襲撃を企図しました。
結果として藩知事の蜂須賀茂韶は謹慎処分を受け、徳島藩領から稲田家支配地を引き離すため、稲田主従は北海道移住を命じられました。
150年目にして公開された資料には首謀者として21歳の若さで処刑(切腹)された大村純安や新島流刑となった森長左衛門の資料など、事件後、旧稲田家家臣の処遇改善を県に訴えた武田寛三の建白書などがあり、事件を改めて振り返ることができます。
住吉町の蓮華寺、吉野本町の万福寺などに、首謀者が切腹した史跡があります。
終わりに
庚午事変の虚と実 ―衝撃の引き金―は両者ともに勤王派として活勤していましたが、阿波(本藩士)・淡路(稲田家臣)の温度差でした。
本藩が善で稲田家家臣が悪ではありません。むしろ今日的には加害者である本陣側の分が悪いようです。歴史的に振り返ると、忠に殉じ切腹した10人らは志士とされたことから本陣よりの評価が主流ではないでしょうか。評価は時代によって変わります。
印象に残ったのは切腹の方法でした。日頃テレビ等で知る切腹は自らが刀を使って切腹するというものですが、この時期における切腹は、三宝に置かれた扇子に手を伸ばすと同時に介錯人が首を切るというものであったようです。
住吉町の蓮華寺、吉野本町の万福寺などに、首謀者が切腹した史跡があるとのことでした。私事ながら、実家の菩提寺は蓮華寺ですが切腹の史跡を知りませんでした。是非訪ねてみたいと思います。
令和2年度下半期の徳島県シルバー大学校徳島校OB会はあわぎんホール4階大会議室に変更して行われました。
検温・アルコール消毒を徹底し、椅子の間隔を保ち、全員マスク、着用で開催しました。皆様のご理解とご協力をえて無事終わることができました。
なお令和3年度は県立総合福祉センター5階ホールで行います。
次回お知らせ
4月22日に講話「口腔ケアで健康寿命を延ばそう」の予定です。
多勢のご参加をお待ちしております。
今回は参加者数131名でした。
写真:32期 常陸
記:31期 蔭山