講話『江戸時代 阿波の民衆が見た 〝異国〟』

2023.08.07

開催日時:令和5年7月24日(月) 13時30分~

場所:徳島県立総合福祉センター 5階ホール

講師:徳野 隆 先生

講師プロフィール

  • 1960年生まれ
  • 慶応義塾大学文学部卒業
  • 元徳島県立文書館館長

講話内容

江戸時代は本当に鎖国だったか?江戸時代は長崎だけでなく、対馬、沖縄、北海道で外国との交易があった。しかし国と国との外交関係は朝鮮だけだった。日本は世界から見ると閉ざされた謎の国であった。朝鮮通信使やオランダ商館長の参府など『異国』の人に触れる機会はあっても民衆には異国は遠い存在。江戸時代の阿波の人々は漂流者や漂着船、本や地図で異国を垣間見るしかなかった。

1.〝異国〟を垣間見た人々

(1)近世阿波における主な漂流者

初太郎(撫養岡崎村)

天保12年(1841)漂流中にスペイン船に救助されハワイ・マカオ等を経由して帰国、アヘン戦争直後の中国を目の当たりにする。体験談がまとめられ、苗字・帯刀を許される。

幸宝丸乗組員(撫養)

弘化元年(1844)漂流。米国捕鯨船に救助されて帰国。

政吉(淡路国津名郡)

安政3年(1856)漂流。米国捕鯨船に救助されハワイを経由して帰国。苗字・帯刀を許されて徳島藩初の通辞となる。

高田屋喜兵衛(淡路国津名郡)

文化9年(1812)にロシアに拿捕・翌年解放。日露関係改善のきっかけとなる。(後日談)高田屋はその後も隆盛を極めるが59歳で喜兵衛が没後、ロシアとの密貿易を疑われ取り潰しになる。

(2)長崎への留学生達

美馬順三・高良斎

シーボルトの高弟

井上春洋

徳島で最初に種痘を行う

(3)世界地誌・世界地図の存在

  • 世界地誌

『和漢三才図会』『四十二国人物図説(万国人物図)』『瀛環志略(えいかんしりゃく)』

  • 世界地図

 『南瞻部洲万国掌菓之図(なんせんぶしゅうばんこくしょうかのず)』、『地球万国山海輿地全図説』、『万国航海図』

2.異国船の漂着

(1)ベニョフスキー漂着事件

明和8年(1771)阿波国海部郡日和佐浦(現・美波町)に異国船漂着~徳島藩にとって初めての本格的なヨーロッパ船漂着事件~江戸時代後期の海防論に大きな影響を与える。

(後日談)ベニョフスキーの航海記は大ベストセラーになったものの、その内容は虚偽と誇張に満ち満ちていた。

(2)牟岐浦異国船漂着一件

文政12年(1829)土佐に漂着したイギリス船が海部郡牟岐浦にも漂流 徳島藩史上最も有名な異国船漂着事件。

当時幕府から異国船打払い令が出ており、徳島藩は厳戒態勢を取り、砲撃等を交えた交渉で退去させたが、異国船対応に多額の経費を費やしたことが後々まで大きな問題となる。

(3) ペリーの浦賀来航 嘉永6年(1853)プチャーチンの大坂来航 嘉永7年(安政元年)

ペリーの浦賀来航については阿波国内で瓦版が出るなど、民衆の関心も極めて高かった。

徳島藩は幕府から佃島、鉄砲洲(東京都中央区)の警備を命ぜられた。また、翌年のペリー再来航の時には羽田、大森(東京都大田区)の警備を命ぜられた。

(4)英国公使パークスの来徳 慶応3年(1867)

8月に英国公使ハリー・パークスや通訳官アーネスト・サトウらが徳島を訪問。藩主・蜂須賀斉裕(父は徳川家斉)、世子・茂昭(翌年に最後の藩主となる)に面会。

(5)剣術・砲術経験者の調査 文久3年(1863)頃

異国船がいつ来るか分からない緊張感、軍隊制度の変革、元気な農民を集めてすごく強い兵隊を作った。江戸時代は戦争はお侍がするので他人事で済んでいた。明治以降すべての国民がお国のために戦って死ねというのは、農兵隊からかもしれない。

お礼

古文書を調べるのは大変なお仕事だと思います。おかげさまで私たちは江戸時代の先人たちの思いを少しでも垣間見る事ができました。徳野先生今日は本当にありがとうございました。

次回映画鑑賞

日時:8月28日(月)13:30~

会場:徳島県立総合福祉センター5階ホール

映画:『ひまわり』

1970年 主演 ソフィア・ローレン

  写真:32期 常陸  記:39期 赤澤・40期 小泉